寂しくなったとき
時折、とてもさみしくなる時がある。
7歳で親権を手放した長男のことを想う。毎日想う。すぐに、いつも、想ってしまう。
こんなに頻繁に思い出さなくても死んではいないし、きっとそれなりに楽しく過ごしていると思う。
別れた元旦那さんが
「安心して、Mのことは俺がちゃんと責任もって育てるから」
と言ってくれたし。
実際、子育てに関しては信頼できる男だと思うから、Mを託したのも分かってる。
自分一人で二人の子を育てられない事も分かって手放したのだ。
当初の予定と違ったことが多かった。平日は毎日Mはこちらで過ごす予定だった。
週末だけ、パパのところで過ごす予定だった。
だがしかし、離婚しお互いの生活が始まると、元旦那さんがMを連れてくるのはリズムが狂うからといって週末だけ、隔週の週末だけ、、、と頻度がどんどん遠くなってきた。
連絡もあまりつかなくなったし、「別れたんだから、子供が頻繁に行き来するのはおかしいよ」と言い出し、月に一回になってしまった。元々、元旦那の女性問題で離婚したので、相手の女性がよく思わなかったのかもしれない。
そしてついに勝手に仕事を辞めてしまい、遠くに引っ越してしまったのだ。
会えない日々がはじまる。
連絡しても「日にち調整します」と返ってきたきり音沙汰無し。
会いたい、会いたい、会いたい、。元気に過ごしているのだろうか、、
きっと元気に過ごしているはずだけれど、いつもいつも思い出してしまう。
寂しい。抱きしめたい。一緒に寝たい。
顔をくっつけたい。可愛い寝顔を見たい。
ソファで横に座って延々あんぱんまんを見たい。
会いたい。
寂しくなった時、どうしたらいいのかわからない。涙がでるまで思い出してしまう。
人には言えない。長女には言えない。
ママが寂しくなってるって聞いても長女は困るだけだろう。
人に話すと、泣いてしまう。そんなこと言われてもみんな困ってしまうだろう。
だから寂しい気持ちをここに綴った。わたしの寂しき気もち、吐き出して、昇華してください。どうにもならないことを、どうにもできないことを、きっと一生想うのだろう。
自分の気持ちに困ってしまう。自分の気持ちに手を焼いてしまう。
それでも定期的に
ふっと、寂しくなる。
あぁ、、こんな毎日。
その人の寂しさはその人でしか埋められないのか。結局そうなんだろう。
写真を眺めて、笑顔になって、思い出して、
この広い家で長女と二人きり。
離婚して一年。まだ一年。
あぁ、人生はまだまだ続く。長い旅路は続いているのだ。
私の人生にいた、あの強烈な小さな男の子はもう私のもとにはいない。
あの美しい顔をした男の子はもう遠くに行ってしまった。
家を出ていくとき、笑って出ていった私の愛しい男の子。
あの存在感の塊のような男の子。
「ママをよしよしして」とねだると、頭をなでてくれた男の子。
なぜ手放してしまったのだろう。あのキラキラした男の子を。
それが最善の策だったと、理性では思うけれど。
私の感情はついていけないまま。時間だけが過ぎていく。
もうわたしのことは忘れてしまうかもしれない。
だけど、いつも幸せを願う。泣いていませんように。
嫌な思いをしていませんように。
寂しくなった時、そんな風に思う。